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2009/11/20.Fri

今週の献立

11/13
DVC00014_20091123174401.jpg
湯豆腐
ごはん
青唐辛子のおかかいため


11/17
DVC00016_20091123174610.jpg
マカロニグラタン
赤カブとセロリのスープ煮
サラダ
バゲット


11/18
DVC00001_20091123174609.jpg
貝柱の炊き込みご飯
ベビーコーンと豚肉のオイスターソース炒め
揚げ茄子の南蛮漬け
お味噌汁(えのき、にんじん、長ネギ)
サラダ




週末は実家に帰っていた。
みっちゃんの一周忌だったのだ。

彼女の戒名には「声」という文字が入っていて、本名ともまったく関係ないし、別に特段美声なひとでも、歌が好きとかそういうひとでもなかったのに、すっごく不思議。なんで?
個人的には、「誰かととり間違えられたのでは、、、」という疑念を拭い去れずにいる。


つらつらと書けば、ちょっとした大河ドラマになりそうな一生を送ったみっちゃん。
私の、祖父の妹にあたる人だが、何度も戸籍の変動があり、、、
最終的には、私の母と養子縁組をし、「祖母」として最期を迎えた。
田舎はややこしい。


私の曾祖母は、8人の子どもを授かった。上から女男男女女女男女。
一番上の女の子は幼いうちに病死。
長男は二十歳そこそこで戦死し、次男であった祖父が家を継いだ。
みっちゃんは第四子の次女。
彼女は、8人兄弟のうちでずば抜けて一番器量がよかった上に、気も強くさらに頭もよかったので、近所ではずいぶんと名の知れた存在だったらしい。
兄弟同士でも、「姉ちゃんは、いったいどんな男と結婚するんだろう?」と、ワクワクして話していたほどだって。若い頃の写真を見ると、やたらと顔立ちのハッキリした美女、ぴりっとした「ムリメ」なオーラ満載で、確かにこりゃ~目立ったろうなぁ~と思う。

しかし人生は平坦ではない。
美女みっちゃんは、20代前半に大きな病気にかかる。そして長い闘病生活の末、やっと体がよくなった頃には、すっかり適齢期をすぎてしまっていた。
すでに妻をめとって実家を継いでいた祖父からすれば、行き遅れの才女なんて、体裁が悪い上に、煙たい存在。
一家のお荷物状態になってしまったみっちゃんを、とにもかくにも一刻も早く売りさばかなくては、、、と必死に探してきた縁談を強引に取りまとめ、お互い顔も知らない同士で嫁に出したそうだ。

残念ながら(当然?)、その結婚はうまくいかなかった。
みっちゃんは、夫の下には、一週間もいられなかったそうだ。
どうやら聞いたところによると、相手のDVがひどかったとか、、、?(ここんとこ詳細さだかではないけれど)
着の身着のまま走って家に戻り、土間で土下座し、泣いて祖父に頼んだらしい。


「なんでもする。
お願いだからこの家に置いてくれ。
二度と嫁には行かないし、
一生働いて、お母ちゃんのお世話もする。
あの男のところへだけは、もう絶対に戻りたくない!」


あの気高い妹が、、、!と、祖父は心底たまげたそうだ。
なのに、そこであたたかく受け入れてあげないのが、祖父のわけわからないところ。
(というか、田舎のしきたりのせい?)
戸籍上出戻ることは許したものの、この家には一度出て行ったお前の住む場所はない!ということで、実家から徒歩数分の場所に小さな家を建て、そこに独居するよう命じたのだ。
なんでかね~。
ま、私にはわからない事情があるんだろうけど。。。


みっちゃんはそれを受け入れ、新しい生活が始まった。
工場で働いて生活を支え、すぐ近くに自分の生家があり、部屋なんていくらでもあまっているのに、独り暮らしを続けた。
祖父と絶縁したわけではないし、実母も存命だったので、毎日のように顔を出して一族と交流はあったが、やはり自分でも肩身の狭さを感じていて、いつもどこかぎくしゃくしていた。

そんな中、「二度と結婚はしない」と言い切ったみっちゃんの行く末を案じた祖父は、また新たな策を持ち出す。
自分の子を、養子にやることにしたのだ。
それで、新しい家族を作り、新家(=しんや。本家以外の新しい家のこと)のひとつとして認めてやろうという計画。

さて問題は、一体誰を養子に出すか。
祖父母には子どもが三人。一番上は男の子で、かつ長子であるからして、無罪放免。(すなわちこれが私の父だ。)
下の二人の妹K子とT子のうち、どちらかがあの家の子になる。
順でいくと、下の妹であるTがいくはずだったのだが、当時まだ中学生だった彼女があまりに嘆き悲しむので(そりゃそうだ)、結局Kが諦め、自分がみっちゃんの養女になることを申し出たそうだ。


そしてみっちゃんと、Kとの二人暮らしの新しい生活が始まった。
私はこの頃あたりから記憶がある。
毎日のように顔を見せるみっちゃんというおばさんは、とてもやさしく、しょっちゅうおもちゃやお菓子を買い与えてくれ、私はみっちゃんのことをちょっと魔法使いのように思っていたかも。
幼児のことまで、「ちゃん」ではなく「さん」付けで呼ぶのは、みっちゃん特有のスタイル。
私を、やさしい声で「meriendaさん」などと呼びかける、この小柄なおばちゃんのことが、とても好きだった。

みっちゃんの家まで犬の散歩にいくと、時々無愛想なお姉さんがいることがあり、オレンジジュースなど飲ませてくれた。くつろいでTVなんか見てたりするので、ここのうちのひとだというのはすぐにわかったが、どうもみっちゃんの娘ではないことは、いつしかどこかで聞かされていた。
叔母はおとなしく、温和なひとだったが、特別子ども好きではなかったのか、あまりかわいがってもらった記憶はない。
はたまた、当時彼女は彼女で、人生イロイロすぎて、それどころではなかったのかもしれない。

「みっちゃんの養女になり、夫(養子)をもらう」ことを、祖父より至上命題として与えられた叔母Kだが、ホント人生は思うようには行かないもので。
彼女の好きになった相手は、長男さん。
是が非でも嫁に来てほしいという。
両家一族巻き込んで、ずいぶん長いことモメにモメ、一時はもう破談になりかけたらしいが、最終的にはみっちゃんが決めた。

「わしのために、好きな人のところにいけんなんて、恩着せがましい!
そんなこと言われてまで、残ってもらわなくていい!
わしはいくらでもひとりでやっていける!
K子は、好きなとこへ好きに行くがいい!!」



結果、叔母は望まれたとおり相手先に嫁ぎ、みっちゃんは、またひとりになった。
その後、幾度となく、父が戻ってくるように話しても、
「ひとりが気楽でいいわ」
といって、生家には戻ろうとしなかったみっちゃん。
工場勤めを定年退職したあとは、畑の世話をしながら、清掃員の仕事を20年近く続けた。
とにかく真面目で、勤勉なひとだったので、365日、晴れの日も雨の日も、規則正しく同じ一日を繰り返すのが、とても性に合っていたらしい。
そんなみっちゃんが、生家に戻ったのは、ほんの数年前。
理由は、ふたつある。
台所の火の不始末で、ちょっとしたボヤを出してしまい、家も人間も被害は大したことはなかったのだが、本人含め、皆が老女ひとりの生活管理に、いい加減限界を感じていたこと。
そして、もうひとつは、祖父が亡くなったことだ。

それまでいくら言っても聞かなかったみっちゃんだが、祖父の四十九日法要を済ませた場で、母が同居の話をしたら、「そうやね、、、 そろそろ、世話になるかの。」と、すんなり話がまとまり、その時母も初めて気づいたそうだ。
表面上は何事もなく付き合いのあった二人だが、他者には決して立ち入ることのできない根深ーい禍根があったのだと。
これまで、何度も断り続けてきたのは、祖父の存在のせいだったのだと。


この頃、私はすでに実家は出てしまっていたので、ある時帰省したら、みっちゃんが家に住んでいた、という感じで、あまり詳しいことは知らない。
ただ、みっちゃんは長年一人で暮らしてきたので、自分のスタイルというのがすごくはっきりと確立されていて、昼食も自分で用意したりして、自由にやっているようだった。

人生の節目節目で、自分の意図とは別の事情で、何度も指針を定め直さざるを得なかった彼女だが、晩年はわりと幸せそうだった。(少なくとも、私にはそう見えた)
日々好きな畑仕事をし、老人らしく思う存分わがままも言って甘え、認知症によって周りに散々迷惑をかけ、最期は家族に見守られて天寿を全うした。
直接聞いたことはなかったのだが、みっちゃんにとって、「家族」って、どんな存在だったんだろう。
というか、みっちゃんにとっては、誰が一番家族だったのかな?
産みの両親である曽祖父母?
家督である祖父?
一瞬だけでも旦那さんだったひと?
一時期は娘だった叔母K?
最期まで世話をし、一番近い存在だった母??
それとも、、、???

いつか、どこかでまた再会できたら聞いてみたい。
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食べる(家) | Comments(6) | Trackback(0)
Comment
No title
いい話やね…ほんとmeriendaって文才あるよー。

ところで思ったんだけど、みっちゃんは第三子じゃなくて第五子じゃない?
おじいちゃんの妹にあたるんだよね?
おじいちゃんは早いうちに亡くなられた長女・長男の後だから第四子だよね~?
だからこそ第三子の女の子はどこへ?といった疑問が。
まるでドラマ・・・
その年代の人の話を聞くと、自分が今、いかに守られ、
個人の意思を尊重される中で、生かさせてもらっているか
よくわかるよね、、、。

meriendaさんの目を通して見ていた『みっちゃん』が
不思議と、meriendaさんの文章の中で息を吹き返したように
生き生きとして感る。読みいってしまいました。

うちの両親の田舎でも、似たような養子縁組などが身内であり、、、
沢山居る兄弟姉妹それぞれの人生は、小説より希なり、そのもので、

そんな人生、現代に生きる私だったら絶対耐えられないな、
と思ったものです。うちの父や母も然り。冗談みたいに、
ドラマチックな人生なんですよね。

う~ん、色々、感慨と郷愁にふけりました。
素敵な文章をありがとう*
No title
みっちゃん、本家の跡取りのお子様(meriendaちゃん)にも気を使ってたのかな~。
お兄ちゃんって妹のことを守るもんだと思ってたけど、深い禍根のあることもあるのね。
誰が家族か...
私が想像するに、大人になって自立したということじゃない?
結婚もしない人、周りにも多いし。
みっちゃんは常につかず離れず、誰かがいて、意外と寂しくなかったかも。

しっかしその戒名、勘違い?!
maxouへ
あ、ツッコミありがとう!
みっちゃんは長女ではなくて、上から四番目で、次女っていうのが正しいの。
長女は4-5歳で亡くなり、長男は戦死だそうで、私が一切知らない人なもんだから、なんか全然存在感がなくって、、、

ちなみにこのふたりは、一族とはお墓が別になってるんだよ。
戦死者は国が墓を建ててくれたらしいし(なんか「遺族会」というのがあってさー、祖父母は靖国神社とかも毎年ツアーでいってたよ、何十年も。。。)、夭折した場合はあまりに気の毒だからということで、手厚く葬るんだそうな。

本文修正しておこうっと。混乱させてごめーん^^;
gattoさん
そう、ホントに数十年前の話なのに、世界が違う??ってくらい価値観が違ってて、自分の自由さをしみじみ感じるよね~。それでも普段は「不自由」って思ってるんだけどね。^^; 当時の人から思えば、ゼータクな悩みだよねきっと。

なんか文章にするとえらい大河ドラマみたいな感じだけど、結構これくらいの理不尽さや事件って、周りを見渡せば、ひとつふたつは誰でも覚えがあるんだよね。
そのあたりの、なんていうのかなーんー「デイリーなドラマチックさ」(矛盾してるけど、、、わかってくれる?)を内包するできごとに、こころを揺さぶられやすい私です。
そんで、こういうのって、登場人物の視点によりけりで、全然違う話になりそうなところも興味深いなっていつも思うの。
たぶん、直接介護をした私の母がもってる物語はまた違うものなんだろうし、叔母Kの視点、祖父の視点、それぞれ全然違う物語になっているんだろう。
親族は近すぎて、現実にはとてもそんなの聞く機会はなさそうなんだけど。。。
妻ちゃん
私にも気を使ってたかな~、どうなのかな?
私は、もうあまりに幼児だったしねぇ。。。^^;
でも、何も知らずにいろいろ傍若無人なことを言ったりしたので、ムッとさせたり、傷つけたりしたことはあったかもしれないなー。
ホントにやさしい人で、あんまり怒られた記憶はないんだけどね。

やっぱね、大家族の「家督」たる人の威厳というか、いばりっぷりって、ちょっと他人からは理解できない部分があるかも。。。
私の田舎の辺りで「にーさん」(ふつうに「兄さん」じゃなくて、発音が違うの。えっとねー「ビーサン(ビーチサンダル)」とか「チーマー」みたいな感じ? 平坦に発音するの)といったら、言外に「その一家の一番えらい人」を示すものなのよ~。
みっちゃんと祖父とが、お互いどういう感情を内心に抱いていたのかは、誰にもわからないことだけど、少なくともどちらも疎んじてたとか忌み嫌っていたとかいうふうには見えなかった。
みっちゃんは、物静かだけど、とってもプライドが高くて頑固、気丈な性格だったから、ホント自立してて、意外とさみしいとか、感傷的なことは、実はあんまり感じてなかったかもね~!
お葬式の時、親族の誰かが「これでやっとみっちゃんもお母ちゃんやサダのとこへいける。きっとまた、ねえちゃんねえちゃんって甘えるサダのことを、かわいがってくれとるワ」って言ってたのを思い出した。サダっていうのは、下から二番目の弟で、みっちゃんがほんとによくかわいがって世話をしていた人なの。60そこそこで、みっちゃんよりも先に死んでしまったんだけど、、、
このサダさんこそ祖父とは実に折り合いが悪く、ここはホントにずっと口も聞かない絶縁状態だったんだよ。兄弟って、むずいわ。。。

戒名は、ほんとに謎過ぎるの。。。 一応さー、名前から文字を取るか、それかその人にまつわるなにかの文字を入れるかのどっちかじゃない? 「ミチコ」というのに「ミ」の文字も「チ」の文字も入ってないし、なんで「声」???

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